INTRODUCTION④The Meditational Process<ヨガって宗教?カルト?>
SNSでこのブログを紹介したところ、アクセス数が増え小躍りしています。
「こんなブログおもんないわっ!」ってならないように今日もせっせと更新しましょう。
※毎度、1番はじめに出てくる「ほんやく」を「本厄」って誤変換をしてしまい「縁起わるぅー」ってなります。そろそろ間違えずに打ちたいです。
初めましてのかたはこちらからどうぞ
INTORODUCTION
The Meditational Process
There is no knowledge without meditation.
<自己流翻訳>
瞑想なくして真の知識はありえません。
NO MUSIC! NO LIFE!! 的な感じ NO MEDITATION! NO NOWLEDGE!!
Tシャツつくろうかな。
↑↑誰か買う???
Throught regular meditation, you gradually grow in spirituality.
<自己流翻訳>
日常的な瞑想をによって、徐々に霊性を高めていきます。
grow in=加える spirituality=霊性
この霊性って訳、なんかしっくりこないんですよね。だからといってほかの言葉が思いつかない。
Meditation gradually offers you the eternal light and intuition. By constant practice of consentration and meditation, the mind becomes as transparent and pure as a crystal. The din of the strife for things mundane becomes smaller and smaller as one recedes inside.
<自己流翻訳>
瞑想はあたなに不滅の光と直観を徐々に与えます。集中や瞑想の継続的な習慣により、マインドはクリスタルのように純粋になっていきます。
Meditation leads you more inward,from the gross to the subtle, from the subtle to the subtler, from the subtler to the subtlest, the Supreme Spirit
<自己流翻訳>
瞑想はあなたをより内側へと導きます。粗大から微細へ、そしてより微細へと…
この「粗大」は昨日の記事の意識高いけど意識粗い人と一緒のことです。
【参考記事】
ここではgrossを粗大と訳してますがgrossには鈍感なとか全体のって意味があります。繊細じゃない感じ。subtleが微細だから対で粗大。
Peace and bliss are not to be found in book, churches,or monasteries.Why do you read many books?It is of no use.
<自己流翻訳>
平和は幸福は本の中や教会、修道院ではみつけられません。なぜそんなにたくさん本を読むのですか?本は役にたちません。
「おいおい。この本も役にたたんのかいっ!」
とツッコミを入れておいて…
The great book is within your heart. Open the pages of this inexhaustible book, the source of all knowledge. You will know everything.
<自己流翻訳>
素晴らしい本はあなたの中にあります。さぁすべての知識の源である限りのない本を開きなさい。あなたはすべてのことを知るでしょう。
おうっ!!!!そういうことね。結局は知識と知恵の話。(これも前の記事ね)
どんだけ本をよんだところで結局は自分の中にすべてあるんだよ。外に探し求めるのではないんだよ。
All names and forms vanish in deep meditation.There is consciousness of infinite space. This also disappears. There is a state of nothingness. Suddenly dawns illumination, Nirvikalpa Samadhi.
<自己流翻訳>
深い瞑想ではすべての名前と形は消え去ります。そこには無限の空間の意識があります。そしてこれもまた消え去ります。無の状態。そして突然二ヴィカルパサマーディーがおとずれます。
illumination=照明・啓蒙 って意味かとおもいきや 精神的に目覚めた状態って意味があるですよね。難しいね。英語。
今日の感想
「なんかどこぞの怪しい集団に勧誘されてるみたいやな」
↑↑「真実どうっすか~??」
私はヨーガを学んでいるからそうではないってわかっているけど、パッと読んだら「なんや?カルトか??」って思う人もいるだろうなー
最近はめっきり減りましたが「ヨガは宗教ですか?」って聞かれることもありましたね。現に私の親も「ヨガ勉強しにベトナム1ヵ月行ってくるわ」って言ったときは「大丈夫か?変な宗教ちゃうの?」と心配してましたし、「ヨガやってるってあんまりいうたら変に思われるかもしれんで」って言ってました。これって完全にオ○ム真○教の影響。始まりがヨーガ教室で、その後の事件ですから当時をリアルタイムで知っている人には心配ですよね。
そもそも宗教ってなんなのかと、定義を調べてみてもスッキリと説明できない。説明できないなりに、説明します。
宗教とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする定義であり、またその観念体系に基づく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会的集団である。(Wikipedia)
「宗教の定義は宗教学者の数ほどもある」といわれているそうで、上記のWikipediaの説明からすると「社会的集団」ってところからヨガ(ヨーガ)が宗教であるとは思えないのですよね。「社会集団」は「人間において、相互行為や相互関係に規則性と持続性が見られる集団」(Wikipediaより)らしいのでね。私、ヨーガの中でそんな関係もってないし。
ヒンドゥー教はインド・ネパールの民族宗教という意味だけでなく、インド的伝統を指しているんです。(これまたWikipediaより)
ヒンドゥー教と訳される英語のHinduismの「イズム」って「主義・主張」という意味。Hinduは英語で西欧で作られた言葉ですしね。インドで「ヒンドゥー教」って言ってたわけじゃないのかと…。起源までさかのぼるとインダス文明からバラモン教そしてウパニシャッドとなってます。
って誰が興味あんねん!!ってくらいマニアックになってきた。ごめん。
さて、広辞苑には「宗教」は【神または何らかの超越的絶対者あるいは神聖なものに関する信仰・行事】と定義されているので、そうなるとヒンドゥーイズムは宗教なのかも。この広辞苑の定義からすると日本の自然信仰である神道も宗教ちゃうんか?ってなるのですが神道は宗教ではなく「道」であるので宗教とされるのは違うというご意見もあるようです。このあたりは私くわしくないのでごめんなさい。
結局ヒンドゥーイズムも「教」なのか「主義」なのかという曖昧さを残していますが、人の捉え方や定義によって変動するものだと今のところは結論づけてます。
なので、先日参加したうちこの生ブログ(うちこのヨガ日記のうちこさんのヨガクラス)で言われていたことが今のところ一番しっくりくる。
「ヒンドゥー教と親和性の高いヨーガ」
話を戻して、「瞑想をすれば自己実現ができますよ」とか「瞑想をすれば心の苦しみから解放されますよ」とかカルト集団の勧誘で使われそうやなぁと。だからさヨガの勉強始めましたって人が周りの人の内容を話したりしていると「大丈夫か?」「変な集団にはいってるんちゃうん?」とか言われたりするのはこれなんだろうな。
カルトとは「マインド・コントロールを主な手段として悪用し、そのメンバーのオートノミーを侵害する集団」であると定義できます。
オートノミー=自主性・自律
この定義からいうと、マインドコントロールを使って個人の考える力をなくしていくのがカルト集団。ヨガの教えを理解するステップには「マナナン」といって考えるという段階があります。
「この人は素晴らしいから言うてること全部あってる!!」というのはよくない。自分で考えるということをしなさいと散々言われているので、ヨガはカルト集団ではありません(笑)
どこに属しているでもなく、集団というわけでもなく、自分の意思で勉強を続けていますしね。
いやー…でも今日の文章は怪しいよね。大丈夫。この先のたっぷりある本の続きでヨガがいかに科学的なのかってことがわかります。きっと。(←ヨガが科学的なのは知ってるけどこの本はまだ全部よんでないから。)